1701年 — 1786年 ・ 三代にわたる領土の変化
飛び地だらけの小国から、ほぼ地続きの大国へ。フリードリヒ一世の戴冠から大王の治世末まで、ホーエンツォレルン家の領土がどう広がったかを地図で辿る。下のボタンで時代を切り替えると、色分けが変化する。
領土はブランデンブルク、ポンメルン東部(ヒンターポンメルン)、そして飛び地の東プロイセンからなる。東プロイセンは神聖ローマ帝国の外にあったため、フリードリヒは皇帝に配慮して自らを「プロイセンにおける王」と称した。ブランデンブルクと東プロイセンの間にはポーランド領(後の西プロイセン)が挟まり、国土は東西に分断されていた。
※ この地図は領域のおおよその位置関係を示す簡略図(デフォルメされた模式図)であり、正確な測量に基づくものではありません。